平成10年度研究評価小委員会報告書について 2.各論 省際基礎研究 6


6.昆虫化学交信の高度制御技術の開発

研究リーダー:農林水産省蚕糸・昆虫農業技術研究所 Leal Walter Soares
(研究期間:平成7年度~9年度)


(1) 目 標

 昆虫が産出する情報伝達物質を、天然型害虫防除剤として高度に活用することを目的とする。このため、昆虫の化学交信のメカニズムを分子レベルで解明するため、情報伝達物質の解明、化学交信物質受容蛋白質の解析、昆虫化学交信の高度制御技術に関する研究を行う。


(2) 成 果

1) 情報伝達物質の解明


 コガネムシ等を対象に、交信物質の単離、構造決定、化学合成に成功した。このうちウスチャコガネの性フェロモンは、アルカロイド化合物に属するもので、他のフェロモン物質と較べて特徴的な化学構造を持つことが明らかになった。またオオサカスジコガネとマメコガネは、光学異性のみが異なる化合物をフェロモンとして利用し、相互を識別することを明らかにした。本研究によって化学構造が決定された数々のフェロモンを比較すると、生物進化の進んだスジコガネ亜科においては、脂肪酸から誘導される複雑な化学構造を有するフェロモンが多く見られた。しかし生物進化の遅れているコフキコガネ亜科においては、フェノールやアミノ酸等、比較的単純な化学構造を有するものがフェロモンとして利用されることを明らかにした。

2) 化学交信物質の受容蛋白質の解析

 種々のコガネムシの触角から、性フェロモンと特異的に結合する蛋白質(フェロモン受容蛋白質)の抽出を行った。この蛋白質は雄だけではなく、雌にも存在することを明らかにした。そのN末端のアミノ酸配列を解析し、フェロモン分子の化学構造と比較を行ったところ、フェロモン受容蛋白質は、フェロモン分子の化学構造を識別する機能を有することを明らかにした。さらにフェロモン化合物をトリチウムで同位体標識を行うことに成功し、フェロモン受容蛋白質との結合能を評価した。この結果、コガネムシのフェロモン受容蛋白質は、2つの光学異性体に対して同じ結合能があることを突き止めた。一方、大腸菌を用いてカイコガフェロモン受容蛋白質の大量調製法を確立することができた。円偏光二色性により二次構造を解析したと ころ、らせん構造に富む構造であることが明らかになった。

3) 昆虫化学交信の高度制御技術の開発

 コガネムシ類の触角抽出物を対象に、電気泳動法を用いてフェロモン分解酵素の特性を調べた。その結果、エステル分解酵素は、ラクトン型フェロモンをラクトン環の開裂とヒドロキシ酸類化合物の生成によって不活化することが示唆された。またマメコガネおよびヒラタアオコガネの触角内フェロモン分解酵素は、他の体表面から抽出された分解酵素と分子量が異なることを明らかにした。またアルカロイド化合物をフェロモンとするウスチャコガネのフェロモン分解酵素は、オスの触角にそのフェロモンを特異的に分解する酵素が存在することを突き止めた。これによりフェロモンの分解には特異性があり、フェロモン分解酵素阻害剤の開発は、新たな害虫防除法として有用であることが示唆された。


(3) 評 価

 本研究は、所期の目標に適した研究であり、その成果は高く評価できる。
 本研究においては、昆虫の産出する情報伝達物質を、環境保全に適した天然型害虫防除剤として高度に活用することを究極の目的としている。そこで、化学交信のメカニズムを分子レベルで解明するため、従来、研究が遅れている重要害虫のコガネムシ類を対象にして研究を遂行したものである。
 その結果、種々のフェロモン化合物を同定、フェロモン物質を受容する蛋白質(フェロモン受容蛋白質)の同定およびクローニングとその機能解析、化学交信におけるフェロモン分子の立体化学と機能、さらにはフェロモン分解酵素の抽出・同定と分解特異性の解明等々、当初の想定された目標を上回る多くの画期的成果が上がっており、充分に所期の目的を達成し、さらに発展させることが可能な状況で、その成果は高く評価されるべきであろう。
 これは、強力な優れたリーダーを中心に、組織にとらわれず、研究分野や国内外を問わず幅広く多くの有能な人材を集めて研究グループを構成した点によるものである。これを元にさらに発展させて、フェロモンの受容機構の解明等基礎面の充実と共に応用的な制御技術開発に結びつけるべきであろう。
 なお、研究項目ごとの評価は次のとおりである。

1) 情報伝達物質の解明

 情報伝達物質の解明に関する研究においては、多くのコガネムシの交信物質単離、構造決定、化学合成に成功している。この結果、従来にない新しいタイプの含窒素型フェロモンが見いだされたり、種によって、同一化合物の異なる光学異性体を利用するなど、多様であることを見いだした。その他種間のフェロモン構造の差が明確になり、これらの合成により、研究項目2)以下の生物学的研究への貢献など、大きな成果となったといえよう。今後防除を含めた高度制御へ展開するための基礎として、さらに種間の差を知るための多種のフェロモンの単離、構造解明、合成研究の進展が待たれる。

2) 化学交信物質の受容蛋白質の解析

 化学交信物質受容蛋白質の解析に関する研究においては、1)触角からフェロモン受容蛋白質の抽出を行い、このものが雌雄双方に存在すること、2)N末端のアミノ酸配列を解析し、フェロモン分子の化学構造との比較によりそれを識別する機能を有すること、3)合成したフェロモン標識体を用いることにより2つの光学異性体に対して同じ結合能があること、4)大腸菌を用いてカイコガフェロモン受容蛋白質の大量調製法を確立出来たこと、5)立体構造の一部が明らかになったこと等非常に大きな進展が見られている。この点、化学者と生化学者の連携がスムーズになされ、優れた結果が得られたことは非常に意義深い。とくに、異種のコガネムシの間にただ一種の結合タンパクが存在するのみにも関わらず、違う光学異性体を認識していること、即ち異なるレセプターの存在を明らかにするなど、当初の予想を上回る画期的な成果であり、今後結合タンパクの3次元立体構造の究明など、さらに研究を発展させる必要がある。

3) 昆虫化学交信の高度制御技術の開発

 昆虫化学交信の高度制御技術の開発に関する研究においては、コガネムシ類の触角抽出物を用いてフェロモン分解酵素の特性を調べた結果、1)この物はラクトン型フェロモンをラクトン環の開裂とヒドロキシ酸類の生成によって不活化すること、2)マメコガネおよびヒラタアオコガネの触角内フェロモン分解酵素は、体表面から抽出された分解酵素と分子量が異なること、3)アルカロイド化合物をフェロモンとするウスチャコガネのフェロモン分解酵素は、オスの触角にそのフェロモンを特異的に分解する酵素が存在すること等が明らかにされた。これらを総合すると、フェロモンの分解には特異性があり、フェロモン分解酵素阻害剤の開発は、新しい安全な害虫防除法として期待しうることが分かり、今後の研究の指標となろう。


 

-- 登録:平成21年以前 --