平成10年度研究評価小委員会報告書について 2.各論 省際基礎研究 5


5.植物細胞における自己・非自己認識機構の解明

研究リーダー:農林水産省農業生物資源研究所 西 尾   剛
(研究期間:平成7年度~9年度)


(1) 目 標

 植物の自己・非自己認識現象として知られる自家不和合性の自己認識機構を解明するため、自己認識機構関与遺伝子の構造と変異の解析、自己・非自己認識機構に関与する認識物質の解明と作用機構、自己認識反応における細胞内シグナル伝達機構の解析を行うことを目的とした。


(2) 成 果

1) 自己認識機構関与遺伝子の構造と変異の解析


 S複合遺伝子座にコードされ、柱頭表面の細胞壁に存在する分泌型糖タンパク質SLGと柱頭表面の細胞膜を貫通して存在するSRKの多数の複対立遺伝子の塩基配列を決定し、変異に富む領域と保存された領域を明らかにして、自己認識に関与する部位を推定した。SLGとSRKのS領域は相同性が高く、可変領域や共通アミノ酸の位置などが完全に一致したが、同じSハプロタイプのSLGとSRKの相同性は必ずしも高くなかった。SLGやSRKの構造遺伝子内の交叉による組換えが遺伝子の多様化に貢献したことを見いだした。また、アブラナ科植物の種や属の分化以前にSLGやSRKの多様化が起こったことを推定した。
 S複合遺伝子座の構造変異を明らかにするため、SLGやSRKを含むコスミドクローンを得て、3種類のSハプロタイプでその比較を行ったところ、SLGなどの遺伝子以外の領域は極めて変異に富んでいることが明らかになった。劣性で弱い不和合性を示すSハプロタイプではSLG様の配列がS複合遺伝子座内に重複して存在することがわかり、遺伝子重複が何らかの形で、不和合性を弱めているのではないかと考えられた。
 S複合遺伝子座の変異解析の成果の応用として、PCR-RFLPによるS遺伝子簡易同定法を確立した。この方法は、従来のS遺伝子同定法よりはるかに簡便で、精度が高く、種子1粒からでも分析可能である。種内のS遺伝子座は極めて多様なことから、この方法はアブラナ科植物の個体判別技術として利用可能である。

2) 自己・非自己認識機構物質の解明と作用機構

 自己・非自己認識には、SLGとSRKの両方が関与していると考えられてきたが、異なるSハプロタイプでありながら、SLGの相同性が極めて高い組合せがあることをみいだした。これらでは、SRKのS領域は大きく異なっていた。一方、同じSハプロタイプでありながら、SLGに構造変異があることもわかった。また、SLGタンパク質が検出できないSハプロタイプがあり、それでは、SLGに相同性のあるDNAはSRKのS領域のみであったり、SLGのコード領域の途中に終止コドンがあることを見いだした。これらのことから、SLGは自己・非自己認識に必須ではなく、SRKが重要であると推定された。
 Brassicaの形質転換技術を確立し、SLGまたはSRKのmRNAを特異的に切断するリボザイムの遺伝子を導入した形質転換植物を得たが、不和合性の評価には至っていない。
 バラ科植物についてもS-RNase遺伝子の構造と変異を解析し、ナス科植物のS-RNaseとは大きく異なることを明らかにした。また、自家不和合性変異体がS-RNase遺伝子を欠失していることを見いだし、S-RNaseは雌しべ側の自己・非自己認識に関与しているが、花粉側のS特異性を決定する分子ではないことを証明した。

3) 自己認識反応における細胞内シグナル伝達機構の解析

 SLGをグルタチオンS-トランスフェラーゼ(GST)融合型の組換えタンパク質として発現させ、高度に純化したタンパク質を得た。これを用いて、SLGと相互作用しうるタンパク質を検索するためペプチドライブラリーをスクリーニングし、SLGが結合能を示す複数のペプチド配列を決定した。
 SRKのキナーゼドメインを含む領域をGST融合組換えタンパク質として大量発現させて精製し、自己リン酸化能を有することを明らかにした。これを、柱頭抽出物とインキュベートし、32P-ATP存在下でリン酸化反応させたところ、6種類のリン酸化タンパク質が検出され、SRK結合性タンパク質候補と考えられた。
 B.rapaの自家受粉と他家受粉後に生じる遺伝子発現の差を検出するため、ディファレンシャル・ディスプレイ法を用いて分析を行ったところ、自家受粉と他家受粉で差が見られるバンドを24本検出し、塩基配列を決定した。その中に自家不和合性のシグナル伝達経路に関与している可能性のあるcDNAも見いだされた。


(3) 評 価

 本研究は、所期の目標に適した研究であり、その成果は高く評価できる。
 本研究によって、柱頭の分泌型糖タンパク質のSLGが自家不和合性の自己認識反応に必須でないことが証明された。SLGは、S遺伝子にコードされる認識物質の候補として初めて見いだされた糖タンパク質で、この発見は、アブラナ科植物以外の多くの植物種で、雌しべ側のS遺伝子にコードされる認識物質を見いだすきっかけとなったものであるが、その後見いだされた膜貫通型のSレセプターキナーゼだけで、自己認識がなされていることを示した意義は大きい。これにより、自己認識機構のモデルがより単純化される。また、本研究で、Sハプロタイプの変異において遺伝子内の組換えが大きく貢献したことを証明したが、このことは海外で高く評価されている。さらに、本研究の副次的成果であるSハプロタイプの簡易同定技術は、日本の種苗会社のみならず、海外でも実際に利用されつつある。
なお、研究項目ごとの評価は次のとおりである。

1) 自己認識機構関与遺伝子の構造と変異の解析

 SLG、SRKの変異と進化について新たな仮説を提唱した。
 個体や品種判別法としても有用なSハプロタイプの簡易判別法を確立した。
 遺伝子座の変異の解析は、目標どおり進んだがS遺伝子座のクローニングは全長をカバーできていない。 大学等の他省庁の研究者の協力の効果は極めて大きい。

2) 自己・非自己認識機構物質の解明と作用機構

 SLGが自己・非自己認識反応に必須でないことを明確に示す証拠を得、自己認識機構をより単純なモデルで説明できることを示した点は評価される。
 S-RNaseは雌しべのS特異性を決める認識タンパク質であるが、花粉側の認識タンパク質ではないことを明らかにした点は大きい。
 DNA分析により、SLGやS-RNaseの機能は明らかとなったが、形質転換体の解析が時間切れとなった点は残念である。

3) 自己認識反応における細胞内のシグナル伝達機構の解析

 概ね研究計画通り進捗したが、カエル卵母細胞を使った実験系は成果が得られなかったのは残念である。
 妥当な計画であったと思われるが、3年で植物を用いた研究には、制約があると思われる。
 この分野は大学等の他省庁の研究者の協力なしには推進が困難であった。


 

-- 登録:平成21年以前 --