平成10年度研究評価小委員会報告書について 2.各論 総合研究 3


3.生体ナノ機構の解明のための基盤技術の開発に関する研究
(研究期間:第1期 平成4~6年度、第2期 平成7~9年度)



(1) 目 標

 本研究は、タンパク質を中心とした生体分子複合体の機能を生み出すナノメートルレベルでの構造メカニズムの解明を目標としたものである。生体ナノ機構とは、生体分子集合体におけるナノメートル領域の構造と分子間相互作用に基礎をおく機能発現のメカニズムのことである。第1期(平成4~6年度)においては、近接場・原子間力顕微鏡の開発、蛍光寿命イメージング顕微鏡法の開発、オートファゴソーム形成の生化学アッセイ法の開発など高度かつ先導的成果が得られた。第2期(平成7~9年度)においては、平成6年度に実施された評価を踏まえて、所期の目標を達成すべく、大きく組織を変えて本総合研究を実施した。
 具体的には、生体ナノ機構の解明のための基盤技術の開発を目指し、以下の研究をおこなった。

(1)機能状態にある生体ナノ集合体の直接観察・操作技術の開発
(2)直接観察・操作技術に基づいた生体ナノ集合体研究のための実験系の開発


(2) 成 果

 本研究における主な研究成果は、以下のとおりである。
生体ナノ機構を解明するためには、(1)個々の(1個の)生体分子複合体の構造と動きを、(2)機能している状態、さらに生きている細胞内で、(3)ナノメートル精度で直接的に観察・操作するための方法が極めて有効であることが示された。これらを実際に行うための方法、装置などが集中的に開発されたばかりでなく、それらを用いて実際に生体ナノ機構を解明するためのパイロットプロジェクトとなるような実験系が、タンパク質複合体、タンパク質-DNA複合体、生体膜系で開発された。直接観察・操作技術の開発と実験系の開発は相補的・相互促進的に進行し、新技術の開発が進み、それぞれの実験系で新知見が得られるなどの成果が得られた。

1) 機能状態にある生体ナノ集合体の直接観察・操作 技術の開発

ア.電気力の局所的検出に基づく操作力顕微鏡である走査型マクスウェル応力顕微鏡を開発し、さらに水中での動作を可能にした。

イ.水中で蛍光観察可能な近接場/原子間力複合顕微鏡を開発した。水中での細胞や1本のアクチン線維の観察に成功したが、透過光観察の場合の空間分解能は35nm、蛍光観察の場合には150nm程度であり、光学顕微鏡の分解能を大きく上回ること が出来た。

ウ.ナノ秒間隔で連続撮影できるカメラを開発した。まず、2枚の画像を0.3~2ナノ秒の時間間隔で取れる装置を完成させた。さらに、偏向中心結像・掃引ゲート方式により4枚の画像を連続撮像する装置のプロトタイプを開発した。

エ.先端曲率半径が2.5nmのAFM用スーパーティップを再現性よく作製する方法を開発した。水中でのタンパク質の2次元配列の高分解能観察が可能になった。

オ.バイオコロイド(タンパク質・細胞)を人工基材の微小領域に配列・固定化する様々な方法を開発した。これらは、表面光化学および自己組織化の化学を駆使した方法であり、新しい分野を創出する結果となった。

カ.膜タンパク質の1分子ダイナミクスを、サブミリ秒の時間分解能とナノメートルレベルの空間精度で直接観察する方法を開発した。この方法を用いて、膜骨格が膜タンパク質の運動・会合・集合を制御する機構がわかってきた。また、時間分解蛍光顕微鏡法、蛍光寿命イメジング顕微鏡法(flimscopy)を 発展させ、ナノメートルレベルでの分子間距離に基づくイメジングの基礎が確立された。

キ.分子動力学計算の超高速化を可能にする専用加速ボードと計算法を開発し、原子数10万以上の系でも通常のワークステーションでの計算が可能になった。このボードは、本プロジェクトの他の課題でも広く使われ性能の優秀さが確認された。

ク.極低温電子顕微鏡法による電子線回折データに基づく構造解析法の開発を進め、X線結晶学と同程度の精度が得られるようになった。大きな良質の結晶が出来にくいタンパク質試料も多いので、これは極めて大きな貢献である。


2) 直接観察・操作技術に基づいた生体ナノ集合体研究のための実験系の開発

 本研究課題は、機器の開発以上の力点を、生物学への応用と言うソフトに置いたところが特色であり、新手法は単に優秀な仕様を公表しても普及しないと言う事情に対応したものである。この目的から2期に於いては、タンパク質、生体膜の2分野を選び、その動態と形態の解析を、転写の動的過程、酵素の構造・機能相関、タンパク質・ペプチド複合体の構造・機能相関、能動輸送系、プロトンポンプの反応中間体、機械受容チャネル、生体膜自体の動的構造、生体膜に基づくナノマシン構築に集中して研究・開発をおこなった。
 転写における生体ナノ機構の実験系の開発においては、直視技術で明らかにされたDNA上のタンパク質のスライディング運動から、新しい遺伝子発現調節機構が提案され、また、分子生物学的手法と組み合わせて開発された新手法によって、転写開始の機構に修正が必要なことが明らかになり、ナノバイオロジー的手法の有効性が証明された。酵素の構造と機能の相関では、遺伝学的方法、生理学的方法、分子動力学計算を融合させる新しいスタイルを追求した結果、耐熱性や低温特性を改良するための設計法で、 マルチドメインタンパク質に適用できるものが開発された。ペプチドライブラリーのスクリーニング法においては、その問題点の洗い出しがなされ、可逆的結合のアッセイに於いては、現状では溶液系によるものが、固定法よりも優れていることが示された。融合タンパク質による新プローブの開発が能動輸送系において試みられ、設計法の問題点が探求され、多面的解析の必要性が見いだされた。
 走査プローブ顕微鏡によるイメージングの実用性について厳しい検討が行われた。電子顕微鏡技術を相補するものとの結論がでた。生体膜の高分解能観察では、レプリカ法のZ軸方向の解像度をSTMで上げることが試みられ成果が得られた。プロトンポンプの反応中間体の構造解析技術の開発においては、低温でのAFMイメージングが検討され、機器と技術の開発がなされた。いずれも、AFMとSTMの過去のバラ色の空想的未来像に決別し、現実的な限界と正確な能力評価がなされた。X線結晶構造解析における結晶調製にAFMが利用できるなどの新用途も開発された。
 機械受容チャネルの研究では、細胞への機械刺激と形態形成という新たな動的、形態的切り口が開発され、従来の情報伝達の細胞生物学の領域を拡大した。非常にテクニカルな多くの工夫の集積の元に可能になった研究である。膜の動的構造と機能の相関に於いては、形態学と遺伝学を組み合わせて、オートファゴソーム膜の動態を規定する遺伝子群が単離され、今後のナノバイオロジー的発展の基礎を与えた。 人工膜に基づくナノマシン構築法開発では、リポソーム形状を、生体高分子で制御する手法が開発された。タリンタンパク質による膜穿孔、アクチンやチューブリン、MAPs、フィラミンなどによる変化が解析され、その機構が検討され、生物学的な示唆もなされた。


(3) 評 価

 本研究は,所期の目標に鑑み優れた研究であり、その成果はたいへん高く評価できる。
 なお評価は下記の分析に基づいた。

1) 生体は分子を部品としたミクロの機構 マクロな全体を駆動している他に類を見ない機構を持っている。このミクロ・マクロを結びつける「ナノ領域」に注目した先見性を高く評価する。この発想は世界に先駆けたものであることは特記される。

2) 生体という極端に複雑な対象の機構解明のために、高度の物理・化学・工学的技術を駆使することは、今後の生命科学研究における必要条件である。 本プロジェクトは、物理、化学、生物、工学それぞれ異なった背景を持つ研究者・技術者をバランスよく編成している。

3) それだけではなく、それらを「測定手法開発」と「測定・解析研究」という、とかく乖離しがちな二つの研究フェーズの一体化の重要性に注目し、”研究のための装置開発”、”装置開発のための研究”という一つの研究プロジェクトとしてまとめた。この研究・開発戦略も、ハイテク日本の強みを生かして、世界の流れを先取りしていると評価できる。

4) これによって、各研究チームは基礎と 応用の両面で、世界水準の上を行く新規性の高い多くの業績を上げる事が出来たと理解出来る。

5) メンバー各人の努力という観点からも、このプロジェクトは、今後重要になるだろう基本技術の開発で、各人がその本質的な重要性を理解し、よく頑張って研究したと認められる。

6) 上記の諸理由から、本研究は振興調整費の本来の精神に沿った研究であり、国際的に見てもこの分野における我が国の評価を高めるものとして高く評価できる。


 なお今後の考え方を下記に示す。

1) 上に述べたように、生体を対象とした適切なチーム編成と戦略を持ったこの研究は、振興調整費という制度があって初めてまとまったと考えられる。この研究者ネットワークを今後とも保っていって欲しい。

2) 振興調整費の支援がとぎれた今後も、何らかの方法でこの研究の方向を保ち、今までの実績を継続していって欲しい。

3) その際、「装置開発者と研究実行者」、言い換えれば「物理計測と生命機能探求」の一貫性という特徴を、ますます意味のあるものにしていって欲しい。なぜならば、今後の生命科学の発展はまさにその点に懸かっているからである。



 

-- 登録:平成21年以前 --