平成10年度研究評価小委員会報告書について 2.各論 総合研究 10


10.極限環境下におけるマイクロトライボロジーに関する基盤的研究
(研究期間:第1期 平成8~10年度)



(1) 目 標

 本研究では,トライボ表面で発現する電気、化学、物理的現象などの基礎的現象の作用機構に関与する原子・分子・電子などの特徴的挙動を把握し、作用機構への影響因子を抽出するための新しい理論的・実験的手法,及びこれらの現象を把握するための計測・評価技術について研究するとともに,種々の極限環境下で作動するトライボ要素の超潤滑,微小摩耗,長寿命化を実現するための新しい潤滑法・表面改質法などを見出し,マイクロトライボロジー技術を確立することを目標としたものである。特に第1期においては、1)マイクロトライボロジーの基礎的現象の解明、2)極限環境下のマイクロトライボロジープロセス制御と応用、3)マイクロトライボロジーの周辺技術と中核技術の高度化を目標とした。


(2) 成 果

 本研究における主な研究成果は、以下のとおりである。

1) マイクロトライボロジーの基礎的現象の解明に関する研究

ア.帯電のマイクロトライボロジー特性への影響に関する研究
 本研究で開発した汎用性の高いマイクロトライボテスターを用いることにより、SiCとSi3N4のマイクロ摩擦において、定常及び交番電場による分極帯電という単純なモデルで摩擦力を変化させることが可能であり、同時に耐摩耗性が著しく向上することを明らかにしている。特に,摩擦をほぼゼロにできること,耐摩耗性を向上できることを実証したのは世界で初めての成果である。この結果からトライボロジー特性の新しいアクティブ制御手法の可能性が示されている。更にこの結果の解析のために素過程レベルでの基礎的な摩擦機構要素を取り入れたモデルの構築を行い、摩擦現象の代表的な性質を再現することに成功している。

イ.マイクロ荷重下における動的表面化学状態に関する研究
 LB膜を境界膜のモデルとし、マイクロトライボロジー特性が極薄膜の高次構造に敏感であること、マイクロ荷重下においても摩擦により高次構造の破壊さらには分子の化学的分解も起こることを、各種の分光法を用いた構造解析により明らかにしている。これらの研究成果をもとに、耐久性に優れた複合境界膜および境界膜の分解を抑制する表面改質を提案し、実験的に証明している。分子の配向や構造変化まで追求して潤滑特性・寿命特性の相関性を把握した先例はない。今後、界面構造の分子論的レベルからの具体的指針が、境界膜の耐久性および信頼性を向上に不可欠なことを明らかにした本研究は,世界的にみて最先端の成果である。

ウ.マイクロスコピック超潤滑物理モデルに関する解析・実験的研究
 ポテンシャル作成法として、最小2乗法と遺伝的アルゴリズム(GA)を応用した方法がダイヤモンド表面と炭素原子の系では高収束性、高精度性に優れていることを明らかにしている。更に2体間ポテンシャルに基づいたミクロWear-Mapの構築から、いくつかの摩耗分類パターンの存在を明らかにし、実験確認が困難なダイナミックな摩耗現象の世界で計算機実験がある程度有効な指標になることを明らかにしている。また、現実スケールを考慮できるミクロ-マクロ結合モデルとして原子レベル部とそれを取り囲む有限要素法モデル領域を繋ぐアルゴリズムを検討し、世界で初めてメゾスケールWear-Mapのプロトタイプの開発に成功している。


2) 極限環境下のマイクロトライボロジープロセス制御と応用に関する研究

ア.極高真空・真空高温におけるトライボロジー技術に関する研究
 宇宙用軸受の長寿命化を実現するためには,PTFE系複合材と二硫化モリブデン(MoS2)被膜の相乗効果がキーポイントであることが知られていたが,その要因が従来考えられていたPTFEの移着やふっ化金属の生成ではないことをXPS組込み摩擦試験機により明らかにしている.また,MoS2被膜が特定の雰囲気圧力で寿命特性が変化すること,高温で有効に作用したMoS2系複合材の移着膜が常温では潤滑性を示さないなど,移着膜のトライボロジーでは温度や雰囲気により移着膜の性質及びトライボロジー特性が大きく左右されることを見いだしている.

イ.極高真空・宇宙環境におけるマイクロトライボロジー技術に関する研究
 炭酸ガスレーザーを用いた原子状酸素発生装置に摩擦試験装置,X線光電子分光装置,走査トンネル顕微鏡を組み合わせることで,低軌道宇宙環境下における固体潤滑剤のトライボロジー特性の変化を世界で初めて実証することに成功している.特に,これまで多くの宇宙機器に使用されてきた二硫化モリブデンスパッタ膜は,極めて原子状酸素の影響を受けやすく,間欠動作する場合には摩擦が高い状態が継続し,従来考えれられていたアブレーションにより容易に特性が回復することが期待できないことが示されている.

ウ.結晶構造変化による二硫化モリブデン極薄膜の耐湿性改善に関する研究
 宇宙構造物の大型化に伴い,宇宙機器の地上試験をクリーンルームレベルの湿度雰囲気中で行わざるを得なくなってきており,真空・湿度雰囲気のいずれの雰囲気でも良好な性能を示す固体潤滑膜が要求されているが,このような被膜はまだ世界的にも実現できていない.本研究ではMoS2の結晶構造を変化させて耐湿性を付与することを目的に,複合ターゲットスパッタリング,イオン注入,スパッタリング作動ガス種の変更を試みている.カーボンのイオン注入により80%湿気中で被膜の寿命が15倍延長すること,作動ガスにSF6を混入することにより耐湿性が改善されること,等の知見が得られており,またカーボンイオン注入膜と同等の特性をコスト的に安い方法で実現するため,MoS2/C複合ターゲットスパッタリングによる被膜の評価が進められている.

エ.超硬質膜創成によるゼロ摩耗・ダストフリー潤滑に関する研究
 ゼロ摩耗、ダストフリーを実現するため,B-C-Nの3元素より構成される新しい超硬質膜および表面改質した超硬質膜を形成し,原子間力顕微鏡(AFM)を基台とした硬さ・マイクロ摩耗評価装置,新たに構成した微細発塵評価装置を用いて,発塵低減効果,耐摩耗特性を評価している.CN/BNの数原子層からなる新しい積層膜では,超格子膜と同様約4nm周期で硬さ98GPaと優れた耐マイクロ摩耗特性という,世界で初めてのきわめて良好な性能を得ている.また,ダイヤモンド表面のフッ素化・グラファイト化,cBN表面のhBN化により,摩擦、吸着力を数分の1に低減する効果を得ている.
 発塵低減については,トライボロジー試験装置に走査型モビリティー粒径分析器を結合することにより,10nmまでの微細摩耗ダストの評価を世界で初めて可能にするとともに,鏡面加工したダイヤモンド膜を適用することにより2桁から5桁におよぶ世界でも類のない著しいダスト低減効果が得られている.

オ.極微小バイオモータのトライボロジー挙動に関する研究
 実験対象となるNa+駆動型べん毛モータを有するバクテリアを野外から得るとともに,回転電場によりべん毛モータを強制回転できる実験システムを新たに開発し,従来は不可能だったモータの駆動イオンを取り除いた状態でのべん毛モータのトライボロジー特性の観測に成功している.モータ駆動源であるイオンの有無によりべん毛モータのトライボロジー特性が変化する,という興味深い知見が得られている.

カ.モータタンパク質のすべり運動摩擦に関する研究
 筋肉のモータタンパク質分子を固定する基板として適した高分子材料を見いだし,その高分子材で微細なレール状基板を作製することによりモータタンパク質分子の運動方向の制御に成功している.また,最適なレール表面の特性を把握するため,表面吸着力分布測定システムを構成し,高分子材レールとタンパク質分子との親和性の評価が行われている.


3) マイクロトライボロジーの周辺技術と中核技術の高度化

ア.トライボロジー界面相互作用のマイクロ・メゾス コピック計測・解析に関する研究

 各種極限環境下で摺動試験ができ、そのまま真空搬送してX線光電子分光、赤外分光、走査プローブ顕微鏡等の分析が可能な試験解析システムを完成させた。 実在系での摩擦摩耗測定と、マイクロスコピックな表面形態解析を行い、100~0.1Nまでのダイナミックレンジの摩擦力計測が可能な評価設備を初めて開発した。基本的なトライボロジーデータを取得し、これらを通して、摩擦界面における反応条件の明確化と、新しい潤滑モデルと評価法の提案を行っている。

イ.マイクロ荷重下の摩擦現象評価に関する研究

 サブミクロンオーダーの周期的突起配列と先端半径を制御した面を創製し,引き離し力・摩擦力は突起先端部の曲の率半径に比例すること、半径数ナノメートル程度の摩耗が生じても影響を受けないこと、相対湿度が増加したときの凝着力変化による影響や液架橋形成の影響を明らかにし、マイクロマシンなどへの摩擦力の影響を明らかにしたとしている。1ミクロン以下の曲率半径と、摩擦力・引き離し力の比例関係を世界で初めて実験的に明らかにした。さらに、真空中での表面処理機能、雰囲気制御を有するマイクロトライボテスターを開発している。

ウ.極表面の機械的マイクロキャラクターに関する研究

 分子間力定数Aの測定評価の手法を確立し、ナノレベルの固体表面の硬さ評価試験機を試作した。この評価試験機によって表層の硬さの評価をおこなった結果によれば、ナノレベルの固体表面の変形挙動は、従来の理論だけでは予測できないという知見が得られている。その新しい変形挙動を考慮にいれた、ナノレベルの固体表面の接触変形モデルを確立した。このモデルは金属の分子間力定数を吸着力の挙動から世界で初めて評価し、分子間力Aに関する性質も従来のモデルよりより正確に記述できる可能性があるという知見が得られている。

エ.超高真空静電気力顕微鏡の超高感度・高分解能に関する研究

 測定探針の熱揺らぎを抑えるため、極低温環境下で動作する光干渉方式変位計を持ち、温度制御式周波数復調回路を導入して、今までにない超高真空・超高感度静電気力顕微鏡を新たに開発た。また、周波数分割方式と時分割方式を併用した新しい測定技術を開発し、表面の電荷分布による静電気力と表面に働く原子間力とを完全分離して測定できるようになった。これにより、表面極近傍に極めて距離依存性の強い静電気力相互作用領域が存在することを発見した。また、表面の点欠陥の電荷を素電荷レベルで観察できることを実証し、GaAs(110)表面の原子欠陥の帯電状態を表面構造と同時に原子分解能で世界で初めて観察することに成功している。



(3) 評 価

 1. 評価の概要


 本研究は、所期の目標に適した研究であり、その成果は高く評価できる。  極限環境下で作動する機械およびマイクロ機械の摺動面におけるトライボロジーを電気的、化学的、物理的現象として解析し、ミクロな原子分子相互作用として解析し、ミクロな原子分子相互作用の視点から実験的、理論的に把握した上で、実用のマクロ技術にまで統合化する研究は極めて重要であり、実験的には注目すべき成果が得られた。以上のとおり、研究をさらに総合的に発展・深化させることで極限環境下での応用に耐える新しい革新的なトライボロジー技術の創出などが期待されるところから、第2期移行にあたっては第1期の研究評価を踏まえ、研究内容の一部を再編成する必要がある。
 なお、各研究項目ごとの評価は以下のとおりである。

1) マイクロトライボロジーの基礎的現象の解明に関する研究

 帯電を用いた新しいトライボロジー特性のアクティブ制御手法、新しい分光法を利用した分子状薄膜の高次構造とマイクロトライボロジー特性の関係を明らかにした上での反応抑制法,2体間ポテンシャルに基づいたミクロWear-Mapの構築とミクロ-マクロ結合モデルによる新たな解析手法の提案など,いずれも世界初の成果が得られており,トライボ表面で発現する電気、化学、物理的現象の作用機構を解明する手がかりを提供するとともに,実用的にも有用な成果が得られており高く評価される。

2) 極限環境下のマイクロトライボロジープロセス制御と応用に関する研究

 宇宙、情報、マイクロマシン技術などへの具体的な応用を念頭に,想定した応用先の極限環境下で超潤滑,ゼロ摩耗,長寿命化を実現するため,世界で最初あるいは世界と同レベルで新しい潤滑法・潤滑被膜,耐摩耗法,潤滑メカニズムの解明等の研究が進められており,いずれも独創性,先進性が認められる.研究対象が生物という特殊性があるなど具体的な応用までにまだ時間がかかる発芽的研究課題が一部あるものの,多くの研究では実用へ結びつく有益な成果が得られており高く評価される.

3) マイクロトライボロジーの周辺技術と中核技術の高度化

 世界初の素電荷レベルの観察を可能とし、静電気力と原子間力との分離測定に初めて成功した超高感度・高分解能の静電気力顕微鏡の開発、複雑な界面マイクロトライボ現象解明の足がかりとなる実在環境摺動試験と各種表面分析を組合せた総合in-situ計測システムの完成,マイクロトライボテスター開発に有益な知見となる微小摩擦力・引き離し力への湿度の影響の明確化、マイクロトライボロジー技術の世界最先端の成果としても、また実用的に有益な成果としても高く評価される。

 2. 第2期の研究計画の考え方

 マイクロトライボロジーの基盤構築のために第1期において、1)基礎現象の解明、2)極限環境場での特性抽出・評価、さらに3)分析・測定技術の中核技術化の視点から研究開発に取り組んできた。それらの基盤的成果を踏まえて、さらに実用的・実際的なマイクロトライボロジー技術の構築を図ることが重要と考える。
 したがって、研究開発課題の遂行に当たっては、1)解決を求められている開発目標と研究課題との間の関係をさらに明瞭にするために、達成目標を一層具体的に設定し直した上で研究を遂行すること。2)実用においても実行可能な技術的方法を重点的に選択すること。3)解決が強く求められているマイクロ機械摺動面のマイクロトライボロジーを研究開発課題として選択すること。4)得られた成果を迅速に各課題の研究者に伝達し、各成果に反映できる研究開発運営体制にすること。以上の事項に留意した上で、有機的に研究を発展してゆくことが必要である。
 第2期の研究計画については、第1期の研究成果及び評価を踏まえ、以下の点に重点を置くことが適当と考えられる。

1) 先行標準・知的基盤の確立に関する研究

 マイクロトライボロジーの分野は、比較的新しいため標準的な評価法・分析法が確立されていない。マイクロトライボロジー技術を系統的な技術としてさらに発展させるためには、標準的な評価法が必須である。このため、第1期で分解能、精度向上を図ってきた分析解析技術を踏まえ、先行標準化・データベース化を目指して研究する。

2) マイクロトライボロジー場と制御に関する研究

 第1期の探索的研究で見出された新しい知見をさらに深化させる独創的研究をおこなう。帯電、化学場ならびに原子・蛋白分子挙動の観点からマイクロ摩擦・摩耗を支配する原子分子相互作用の要因についての解析結果を踏まえ、実用の環境因子を加味した実験、解析を行い、実用的なマイクロトライボロジー技術を構築するためのキーテクノロジーを研究する。

3) マイクロトライボロジー技術の応用に関する研究

 第1期で応用の芽の出てきた課題に対して、さらに実用化を目指した研究を実施する。宇宙、超クリーン、高温や高湿度などトライボロジーにとって極限的な環境において超低摩擦、ゼロ摩耗、超ダストフリー、長寿命などを実現するため、特定の応用先を想定した使用環境下でマイクロトライボロジー技術を展開する。


 

-- 登録:平成21年以前 --