第4章 安全・安心な社会に向けた科学技術政策の方向性

安全・安心な社会の構築に向けて取り組むべき課題とその対策について、我が国として進むべき方向の大枠と、政府の役割を提示するとともに、科学技術に関連した課題とその対策に取り組む際の重要事項を示す。

4‐1.我が国として進むべき方向と政府の役割

まず、我が国として、安全・安心な社会の構築に重点的に取り組むという姿勢を明確にすべきである。我が国として進むべき方向の大枠としては、安全・安心な社会に向けて取り組むべき重点課題を抽出し、重点課題の解決に必要な科学技術的および社会制度的な対策を講じていくとともに、国民の間に安全に対する意識が醸成され、同時に国民が安心できるような社会を目指していくべきである。
このような方向性の中で、重点課題の解決に資する科学技術の研究開発を進める際には、先端的な科学技術の開発を目指すだけでなく、安全・安心分野への既存技術の転用や、社会技術と呼ばれる社会問題を解決し社会を円滑に運営するための技術の研究開発も含めて、科学技術と社会制度の両面からの問題解決に取り組むべきであり、そうした方法によって革新的な成果をあげることを目指すものとする。
以上のような、安全・安心な社会の構築に向けた我が国として進むべき方向を踏まえた上で、政府の果たすべき役割としては種々のものが考えられるが、このうち、1喫緊もしくは長期的な課題解決のための政策目標の設定および科学技術的・社会制度的な対策の実施、2安全・安心を脅かす要因に対応するための基礎・基盤の整備、3安全・安心に係る基礎知識の普及や意識の醸成、4国際社会との関係、が重要であると考えられる。また、安全・安心に係る問題の対処に深く関わり、多くのニーズを抱えている地方自治体等と協力しつつ、これらの役割を果たして行くことが必要である。

4‐2.科学技術的課題に取り組むに当たっての重要事項

以上のような我が国として進むべき方向と政府の役割を踏まえ、安全・安心な社会の構築に向けた課題に取り組むにあたっては、社会制度的な課題の検討とともに、科学技術的な課題を検討することが重要であり、科学技術的な課題および関連する社会的基盤の検討については、以下の諸点が重要な事項であると考える。なお、安全・安心に係る科学技術は、社会の安全・安心の確保に貢献してはじめてその目的が達成されるため、安全・安心に係る科学技術の成果が、安全・安心に係る意思決定プロセスにおいて、選択肢の一つとして取り入れられることが重要である。

(1)安全・安心な社会の構築に向けた科学技術の強化

安全・安心な社会の構築に向けて、科学技術がこれまで以上に貢献していくためには、自然科学から人文社会科学にわたる様々な知を結集するとともに、課題解決型研究開発の推進、持続的な研究開発体制の構築、および未知の危険に柔軟に対応できる多様な科学技術の確保が必要である。また、それらの基盤となる科学技術系人材の育成が必要である。

1.課題解決型研究開発の推進

安全・安心の課題解決のために新たに取り組むべき研究開発課題については、関連する個々の分野における積み上げ式の研究の総和ではなく、明確な政策目標のもとで、課題対応に関連する分野を結集し、迅速かつ有機的に連携したプロジェクト的な対応が必要である。たとえば、新興感染症への対応は、病原体研究や医薬品の開発のみならず、公衆衛生や被害拡大防止のための各種計測技術開発も併せた総合プロジェクト的な研究の実施が必要である。その際、研究の実施に併せて、関連する社会的枠組みの構築や変更等の制度的対応も行うことが重要であり、関連行政を所管する官庁(以下、関連省庁と記す)の参画が不可欠である。また、研究の実施においては、関連分野の研究成果を社会のニーズに即した形で円滑に還元できるような仕組みや取り組みも重要であり、そのような取り組みの中で、大学や産業界の役割を明確化する必要がある。
安全・安心の課題解決を目指した研究開発を進めるためには、安全・安心に係る公的機関(現業を含む)や企業等と研究開発機関とが密接に連携し、「技術欠落」(技術導入による改善が見込まれる部分に、技術が導入されていない状態)を解消しつつ、関連研究開発機関において現場の要件に立脚した対策技術の応用研究開発を進めることが重要である。その際、先行的にモデルケースを設定して実証実験を行い、研究成果の実用性を確認し、研究開発にフィードバックさせていくことも有効であると考えられる。
安全・安心の問題解決を目指した研究開発における課題の設定にあたっては、解決すべき問題の全体を俯瞰し、その中でボトルネックとなっている事項の所在を明らかにし、それを優先的に解決することを念頭に置くことが重要である。
第2章で述べたように、安全が想定外の出来事により脅かされる可能性は常に残されていることから、社会が受容可能なリスクレベル(リスク低減目標)の設定が必要となる。リスク低減目標の設定は研究開発や社会システムの基本設計に不可欠であるが、その設定に当たっては社会の合意を得ることが必要である。また、社会一般が受容可能なリスクレベルであっても、子ども等の社会的弱者に対する危険性が残る可能性があることから、社会的弱者を守ることに留意する必要がある。さらに、社会の合意を得る際には、市民の参画が不可欠であり、市民の参画を促すためには、ボランティアやNPO等と協調を図りながら、市民のインセンティブを促進する仕組みを作る必要がある。
開発した対策技術を社会に導入するためには、個人の行動の自由やプライバシー等との兼ね合いや、誤認や誤作動を始めとする種々の不利益な問題との調整が必要であり、対策技術の研究開発の中で、技術導入に伴う問題点を明らかにし、その対策について事前に検討する必要がある。

2.安全・安心に係る研究開発体制の整備

1)持続的な研究開発体制の構築

社会の中で次々と生じる安全・安心の問題に対して、科学技術が対応していくためには、安全・安心に係る持続的な研究開発の体制を構築する必要がある。
安全・安心の問題に対し、従来の対策を一変させるような革新技術や画期的な知見による対策を生み出すためには、それらの基となる大学・研究機関等の基礎的な研究成果を、安全の確保に努めている公的機関・企業等のニーズに結びつける必要がある。そのためには、これらの公的機関・企業等における安全に関するニーズを調査分析し、ニーズにあった先進技術を掘り起こして両者を結びつけるための目利き人材が必要であり、このような人材を大学・研究機関に配置するための取り組みの拡充が必要である。
革新技術や画期的な知見を生み出すためには、重要な安全・安心に係る分野毎に研究拠点を形成し、研究開発基盤を整備する必要がある。特に、感染症分野では、国外で発生した感染症が急速に世界的規模に拡大する危険性があることから感染症の発生する途上国に研究拠点の形成を進める必要がある。また、安全・安心に係る個々の分野で得られた知見を集積し、他の分野へと活用するためには、分野毎の研究開発拠点との情報および人材の交流を通じて安全・安心科学技術の知識体系の整理・蓄積を図り、一般化された知識を各分野の研究拠点にフィードバックする機能を持った中核的な研究開発拠点の形成が必要である。
第3章で述べた安全・安心の問題解決のための共通的な基盤技術は分野横断的に研究開発を進めることにより大きな波及効果が期待できるため、安全・安心に係る分野毎の研究開発拠点と連携しつつ、安全・安心に関する共通基盤技術の開発を行う研究開発拠点の形成が必要である。とりわけ、安全・安心な社会という最終的な目標のためには、要素技術の研究開発だけでなく、社会システム全体の適正化を図る必要があり、このため、複雑化した高度科学技術社会における各種社会システム間の相互依存性解析、被害予測・影響評価解析、脆弱性解析等の学際的な研究開発を進めることが必要である。
また、学際的な研究開発を促進するため、研究者同士の学際的な集まりをサポートし、学協会等への発展を初期段階においてサポートすることも必要である。
上記のように、安全・安心に係る研究開発を持続的に推進するにあたり、研究開発成果の社会への導入を着実に進めるための体制の検討が必要である。

2)未知の危険に柔軟に対応できる多様な科学技術の確保と知のネットワークの構築

近年、科学技術が高度化、複雑化する中でリスクの予見が難しくなっており、さらに人為的な脅威が増大する中で、想定外のリスクが突然顕在化することが問題となっている。また、人間の活動が未踏の地域や未知の領域に拡大したために、未知の危険に遭遇する可能性が高まっている。
未知の危険が顕在化した際、被害やその拡大防止に柔軟に対応するためには、常に科学技術の多様性を確保しておくことが必要である。多様な研究開発活動により、幅広い分野の専門的知見や先進技術を蓄積することで、未知の危険が顕在化した場合、これらの蓄積を活用し、対策技術の研究開発を進めることが可能となる。また、科学技術の多様性確保に加えて、多様な科学技術系人材の育成も必要である。
また、未知の危険が顕在化した際、対策に必要な専門的知見や技術シーズをいち早く探し出すため、安全・安心に貢献し得る科学技術情報を広く収集して把握し、常に関連する研究者に迅速なアクセスが可能な知のネットワークの構築が必要である。

3.科学技術系人材の育成

安全・安心な社会の構築に資する科学技術を生み出す基盤として、安全・安心に係る研究開発分野の科学技術系人材の育成が必要であるとともに、科学技術系人材全般においても安全・安心に係る能力と価値判断基準・行動規範を身につける必要がある。

1)科学技術的対処能力等の養成

安全・安心に係る研究開発分野の科学技術系人材の絶対数が不足しており、その養成のための施策展開が強く望まれる。
また、科学技術が高度化、専門化する中で、独創的な知見や最先端の技術から生じる可能性のある危険をいち早く予見できるのは、それらを生み出す研究者・技術者自身であり、研究開発人材全般の育成過程において、社会の安全・安心を確保するための知識および新たな知見や技術によって生じる可能性のある危険を予見する能力の養成が必要である。
安全・安心に係る問題解決のためには、研究開発人材のみならず、安全・安心に係る社会のニーズを把握し、先進技術をそれらのニーズに結びつけることができる目利き人材の育成や、人文社会系人材と連携し、社会の中で実践的に行動できる人材の育成と相互のネットワーク作りが必要である。
さらに、安全・安心に係る情勢は変化するため、最新の安全・安心に係る知識を取得できるような環境作りが必要である。

2)科学技術系人材・組織の価値判断基準・行動規範

社会システムがますます科学技術システムへの依存度を高めている高度科学技術社会における安全・安心の確保のためにはシステムの研究開発や運営に関わっている科学技術系人材や、その属する組織の判断・行動が重要である。科学技術が先端化・複雑化する中で、科学技術系人材にしか予見できないリスクが増大している一方、近年モラルハザードによる不祥事などが相次いでおり、信頼の喪失とともに社会の安心が損なわれている。科学技術政策としても、企業の社会的責任(CSR)に係る取り組みとも連携しつつ、科学技術系人材・組織が問題に直面した際に社会の安全を優先した適切な行動が取れるような環境の醸成を促進することが必要である。
科学技術の高度化により科学技術系人材の有する力が増大している中、特定の個人・組織による科学技術を悪用した事件も発生しており、これらの事件を未然に防ぐための対応の倫理面からの検討も必要である。
判断・行動の適正さの基となる価値判断基準・行動規範を含む総合的な科学技術教育を実施することにより科学技術系人材の人間力の向上を図るとともに、育成された人材の質を保証するための制度的な対応が重要である。
近年、学協会が研究交流団体としての機能に加え、社会との関わりの中で研究者・技術者等がどのように行動するべきかを自律的にまとめていく職能団体としての機能を果たそうとしていることは、研究者・技術者等の価値判断基準・行動規範を明確にするとともに、社会一般の科学技術への漠然とした不安の解消にも効果があると考えられる。

(2)安全・安心に係る科学技術に関連する社会的基盤の整備

1.個人の安全・安心に対する知識・意識の醸成

第2章で述べたように、社会の安全が何らかの方法で確保できても、安全を考慮せずに個人が行動すれば、安全な社会は容易に崩れることを意味している。したがって、社会の安全に加えて、利用する個人が安全に対する知識・意識を持ち、それに沿った行動をとることで初めて、安全が確保され、個人が安心できるといえる。
近年、新たな危険や脅威が増大する中で、安全・安心な生活を送るために必要とされる知識の量も増加していると考えられる。安全な生活を送るために必要な基本的知識を学ぶため、幼少期からの安全教育の充実が必要である。
また、生涯学習の観点からも、このような安全教育の充実に加え、安全に対する意識を醸成していくために、日常生活において、リスクの予見や回避行動を生活習慣の中に組み込んでいくことが必要である。

2.安全な社会を支えるコミュニティ作り

安全を確保する上で、特に防災・防犯に対しては、公的機関による活動に加えて、コミュニティが中心となった取り組みが効果的である。これまでの地域コミュニティが崩壊しつつある中で、防災・防犯のためのコミュニティの形成やその支援に関してボランティアの活動が重要な役割を果たすと考えられる。
安全・安心に関連する研究開発を推進するに当たっても、必要に応じてコミュニティに関わっている地域住民やボランティア、NPO等と協調し、コミュニティにおける安全・安心に関するニーズを汲み上げ、それを踏まえた研究開発課題を設定するとともに、コミュニティ形成の観点も踏まえた研究開発を進めていくことが有効と考えられる。

3.安全を安心として実感するための取り組み

安心は安全の確保に関わる組織への信頼や個人の主観的な判断に大きく依存することから、たとえ、安全が確保されていても、個々人が安心として実感できないのであれば、なぜそのような事態が生じているのか原因を検討し、原因を明らかにした上で、安心をもたらすためには、何をすべきなのかについての研究が必要である。また、確保されている安全を個々人が安心として実感できることが社会的なゴールであり、安全を安心として実感するため手法の研究が必要である。このような研究の例として、環境中の化学物質が与える影響度を分かりやすく人々に伝えるために、メダカ等の生物を指標として用いて安全性を評価する手法の研究や、津波被害や洪水被害の予測分布や犯罪発生件数の分布などを地図上に視覚的に分かりやすいように表現したハザードマップの研究が挙げられる。
また、公的機関、大学、NGO等の利害関係のない中立的な機関が「信頼のおける第三者」として、様々な調査・評価を行い、安全を確保する組織と人々の間を取り持つことは、安全を安心へとつなげるためのひとつの方策として考えられる。

4.安全・安心を得るための情報伝達手段の構築

大規模災害や重大事故等の危機発生時に、的確な情報を迅速に伝達する事で、不安の拡大や無用なパニックを防ぎ、人々が適切な行動をとることによって、被害の拡大を抑えることができる。したがって、危機的状況において有効に機能する情報伝達手段と情報提供システムの構築が必要である。また、このような情報伝達手段や情報提供システムが突然の事態に対しても即座に対応できるためには、平常時においても活用されるシステムの構築が必要である。さらに、危機的状況において、情報の信頼性が大きな意味を持つことから、情報を提供する組織の信頼性を確保することが重要である。一方、情報の受け手については、誤った情報に安易に踊らされないよう、情報の善し悪しを自分で判断する情報リテラシーを養成することが重要である。

(3)グローバリゼーションを視野に入れた国際協調や国際標準への対応

人や物資、情報等が世界中を行き来する中、一つの国や地域に発生した危険因子は、当該国・地域にとどまらず国際的に波及する状況にある。よって、国内の安全・安心の問題に取り組むだけでなく、諸外国と協力・連携して国際的な安全・安心の問題に取り組んでこそ、我が国の安全・安心が実現できるといえる。とりわけ、地理的に近接しているアジア諸国との連携・協力が重要である。
国際的な安全・安心を実現するためには、我が国が有する高い技術力を活用することにより、危険因子が発生する可能性がある国や地域の安全性を向上させるといった国際的な協力・連携を行っていく必要がある。たとえば、新興感染症が発生する可能性が高い国に研究拠点を作ることで、新興感染症が発生した際、治療方法やワクチンの開発によりその国に貢献するとともに、我が国に対する迅速な感染症対策の検討を進めることが可能となる。このことは、結果的に我が国への感染症の被害を大幅に抑えることにもつながる。このような国際的な協力・連携を行っていくには我が国と相手国・地域の関係を踏まえて文化的背景を考慮した対応を図る必要がある。
また、我が国をはじめ複数の国々に共通な安全・安心に係る問題に対して効率的に研究開発を進めるため、同様の問題に取り組んでいる国との間で、積極的に情報交換や研究協力を進める必要がある。既に米国との間では、情報セキュリティ、社会基盤保護・相互依存性解析、感染症、食の安全、自然災害、犯罪・テロ等の両国の共通関心分野における研究協力の可能性について、幅広く議論を開始したところであり、このような場を活用しながら、国際協調を進めていくことが有効である(2004年2月「第1回日米安全・安心な社会に資する科学技術に関するワークショップ」を開催)。
さらに、我が国が有する安全・安心に係る科学技術を活用し、世界に貢献していくためには、国際標準の策定が不可欠である。国際標準の策定には、単なる技術の優位性のみでは規格標準化をリードできないことを認識して、新規技術の開発に加え、我が国も国際機関における標準化の決定作業への積極的な関与が必要である。そのためには、関連省庁との連動等による国際的な交渉力の強化が不可欠である。

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