長寿社会における生涯学習政策フォーラム2013 in 東京議事録(事例発表)

【司会】  それでは定刻となりましたので、ただいまから午後の部の方を開始させていただきたいと思います。
 午後、最初のプログラムでございますけれども、日頃よりそれぞれの地域で高齢者の学び、あるいはその成果を生かした社会参加を促進し、地域全体の活性化にもつなげているような具体的な取組事例について、3名の方から御紹介を頂きたいというふうに考えております。
 まずは、NPO法人ACOBAまほろば事業部長の杉原秀雄様による事例発表を行います。
 簡単ではございますけれども、杉原様の経歴を御紹介させていただきます。杉原様は、現役時代は主にデジタル通信に関するシステム開発、あるいはその事業の分野に関わってこられました。会社員引退後は、2011年から現在のNPO法人ACOBAに参加されまして、福祉関係の評価事業ですとかNPOへの融資促進事業に携われた後、昨年からいきいき生活倶楽部まほろばの活動に関わっておられます。また、趣味の方はクラシックギター、スキー、ゴルフ、オカリナ製作という形で非常に多趣味で楽しまれておりまして、今年からは社交ダンスの方も始められているというふうに聞いております。
 本日は、「学びから実践へ 緒についた、(一人暮らし)高齢者支援事業『いきいき生活倶楽部 まほろば』の歩み」ということをテーマにいたしまして、事例発表の方をしていただきます。
 それでは、杉原様、よろしくお願いいたします。

【杉原】  NPO法人ACOBAの杉原と申します。午前中の清家先生のお話によりますと、もう20年前には死んでなきゃいけないんですけれども、まだ生き長らえております。
 今日のお話は、学びから実践へというまほろばの歩みなんですけれども、私の所属しているNPOを御紹介します。ACOBAというNPO法人で、ちょっと奇妙な響きがあるかもしれませんが、これはAbiko Community Business Association、これの頭文字をとった普通のNPO法人です。どういう仕事をしているかといいますと、自前の事業は余り持っていないんですけれども、千葉県の施設の指定管理ですとか、あるいは福祉介護の部分で施設の第三者評価とか、それから地域密着型の事業所の外部評価、こういったことをやっております。そのほかにもいろんな事業をやっているんですが、そういう意味では、割合幅広い領域をカバーしているということで、幅広い経験を持ったNPOだというふうに思います。まほろばは、その中の一つの事業部ということでございます。
 そもそもまほろばはどうしてできたかということについてお話ししますと、実は平成23年に我孫子市の地域支え合い体制づくり事業というものがありまして、それに応募して、ACOBAが受託したと。これは、一人暮らしの高齢者をいつまでも元気で生き生きと暮らしていただくためのサポートをする、そういうサポーターを養成する講座です。講座が終わった後は、ACOBAが責任を持ってサポーターの活躍する場所を提供しなさいと、そういう条件付の事業でありました。
 この講座の中身ですけれども、小さくて読めないと思いますけれども、わずか2か月足らずの間に180時間ぐらいの実習と講義があるという、非常にタイトな講座です。集まった二十数名のサポーター候補の方は非常に熱心で、全員9割以上の出席率で、落後者が一人もいなかったというのが語り草になっております
 事業が終わりまして、生活倶楽部という事業を立ち上げるという話になったわけですけれども、そのときに、まず名前から決めないといけない。事業理念のようなものも必要だろうということになりました。名前はいろいろ紆余曲折(うよきょくせつ)あったんですけれども、「ACOBA」と「まほろば」というのは母音の並びが同じなんですね。言いやすいということもあります。そういったこともあって、まほろばという名前にしています。
 それから、事業理念としては、会員制クラブとして、主として、一人暮らしの高齢者が安心して楽しい生活を支援することを通じて社会に貢献するとか、ボランティア精神に支えられたサポーターも地域社会の中に新しい生きがいを見つける、こういったような理念があります。これは事業理念とは言えない理念で、心構えみたいなものです。三つ目が、利用者、サポーターともにACOBAを核として、この倶楽部がまほろばであり続ける。ここら辺が事業理念風で、NPOの事業性というのは、継続性と同じなんですね。ですから、継続できるような団体であり続けたいというのが理念です。
 事業構想としては、余り目先の動きではなくて数年先、先ほどから話がありますような超高齢社会が訪れるような時期に、我々のポジションがしっかり確保できるような、そういう活動をしていこうということで、会員制のクラブですから、One Stop Serviceということで、とりあえずまほろばに入っておれば安心していられると、そういった事業体にしていきたいなというふうなことを考えてスタートしています。
 スタートしたわけですけれども、なかなか難しいんですね、こういう事業というのは。会員の方は、基本的に自立されていて元気な方が対象ですから、支援するとはいっても、支援が必要ない方がほとんどなんですね。一方、事業というところから考えますと、支援しないと事業にならない。そういうジレンマがありまして、なかなかうまくいかない。サポーターの方は、福祉の分野で貢献したいという意識が一番強いんですけれども、一方、有償ボランティアとしてある程度の収入も期待したい、そういう側面も持っています。我々コーディネーターとしては、そういうサポーターの望みも聞きながら、会員にサービスを提供していくというミッションを負っているわけですけれども、少し事業をやってみた段階では、なかなか有償ボランティアにつながるような活動はできないんですね。いつまでも有償ボランティア、あるいは支援ということにこだわっていますと、なかなか事業ができない。我々自身も、本当に一人暮らしの高齢者にとって必要な支援とは何なんだと、何が必要なんだということで、十分理解しないまま有償ボランティアですとか事業という話をしてきたんですけれども、実はそこに一番大事な問題があるんじゃないかということに気が付きまして、ちょっと視点を変えてみようということを考えました。それがここにありますような、元気な高齢者が街を救う、こういう視点でものを考えたらどうだろうと。高齢者が家に引きこもっているような社会ですと、若者が逃げ出す、シャッター街になってしまう。一方、元気な高齢者が街をかっ歩しているような社会ですと、若者に起業のチャンスがあるだろう、そういうことで、我々のやっている活動は、とにかく元気な高齢者の比率を高める活動だ、そういうふうな理解の仕方をして、しばらくやってみてはどうだろう。高齢者というのは、大体、若者のエネルギーを吸い取って、社会のお荷物みたいな言い方をよくされるんですけれども、実はそうではなくて、全く逆に、ずっとではないと思いますけれども、しばらくの間は元気な高齢者のエネルギーを逆に若者が吸収することで社会が活性化する、そういう発想で取り組んでみてはどうだろうということで、当面の活動方針を「支え合って 青春の感動を再び!」という、ちょっと大げさなスローガンで再スタートをしようということにしています。こういうチラシをつくったりして、ここに「青春の感動を再び!」ということを書いていますけれども、このチラシは余り評判よくなくて、何をやるのかよく分からんと、青春の感動って何だというようなことがあって、いろいろもめていますけれども、私はこれでいきたいなと思っています。
 何でそうかといいますと、ちょっと頭にひらめいたのは、ノーベル化学賞ですね。2010年、たしか鈴木さんと根岸さんでしたか、ノーベル化学賞を受賞しています。その研究テーマがクロスカップリングという、触媒でノーベル賞をもらったというのが頭にありまして、よく考えてみると、まほろばの事業も、もしかして触媒みたいな仕事かなというふうに思い出して、ちょっとアナロジーを考えてみました。
 例えば、ここにaとありますけれども、これを日常的な生活要素とします。もし何もなければ、このaはずっとaのままでいるか、あるいはしぼんでしまう。これに何か非日常的な生活要素のXというものが加わると、aの中で反応が起きてAになってしまう。これは高齢者が活性化したという意味なんですけども、こういう現象があるんではないか。1年ぐらいやって、これは正しいんじゃないか。見ていますと、Xiを提供することによってaがAになるというようなことを観察していますので、もしかして、こういうことであれば、サポーターの仕事というのは優れたX、何か非日常的な生活要素を提供すること、そのためにはサポーターの人たちは自己研さんもしないといけないし、学びも継続していかないといけないということで、自分たちの活動をオーソライズできるんではないか。
 一方、コーディネーターの我々の仕事は何だということになりますと、むしろ我々は、単にXが加われば、aがAになるというだけの話ではなくて、Xiの組合せですね、どういうXiを組み合わせればより大きなAになるか、あるいはAjと書いていますけども、個人によって変わるだろうと。この利用者の方には、どういうXiの組合せが最適かというようなことを考えていくのが、我々の仕事だというふうに考えています。
 こういうふうに考えていきますと、当初、「青春の感動を再び!」というふうに言いましたけれども、そういうお遊びの中から、もしかしたら事業性が見つかるのではないかというふうなことも今考えています。当初考えた活動のイメージは、お楽しみ企画と暮らしの安心企画という二つに分けて、ボランティア的なお遊び、お楽しみをやっていく中で利用者と信頼関係を作って、有償ボランティア的な活動につなげていけるんじゃないかというふうに考えたんですけども、今は、むしろ、こういうことはもちろんあっていいんですけれども、このお楽しみの中にも、先ほど言いましたような、サービスの提供の仕方によっては事業になっていく、そういう要素があるのではないかというふうに考えています。
 今までどういうことをやってきたかということを簡単に御紹介したいと思います。これは、オープニングコンサートということで、まほろばを発足するときにやったコンサートです。ここは、着物を着たきれいなサポーターがおもてなしをしています。
 それから、電気を上手に使いましょうという講座をやりました。これは、自然エネルギーが騒がれているときに、自然エネルギーだ、原子力だ、化石燃料だという前に、我々自身、電気についてもっと知る必要があるんではないか、電気を上手に使うということも大事ではないか、こういったことを話し合いました。
 それから、新聞ですね、まほろば通信というのを出していますけれども、これもただインタビューして会員を紹介していくということもありますけれども、将来的には、例えば地域で納得できるレストランを紹介していくとか、そのためには、ミシュランじゃないんですけれども、まほろば基準というものを作ろうと。まほろば基準に合ったレストラン、つまり高齢者が行って安心できるレストランの条件というのは幾つもあるんじゃないか、そういったものを満たしたレストランを紹介していく、こういった活動も面白いな。
 それから、ちょっとチャットねっとと書いていますけれども、まほろばの会員とサポーターの懇親会。これもただチャットするだけじゃなくて、手品をやったり、いろんな楽器の演奏をやったり、そういった楽しみの仕方をしていこうと。
 歌声喫茶は、割合定着しております。毎月定期的にやっています。
 意外と人気があったのが社交ダンスです。70、80になって初めてダンスを始めてみようという人や、自分とはダンスなんて関係ないと思っていた人も、やってみると意外と面白い。私もその一人なんですけども、結構人気がある。こういう活動の中から、会員がどんどん増えているというような状況です。
 それから、手賀沼遊覧といって、屋形船をチャーターして、手賀沼から我孫子市を見てみようというような活動もやっています。これはサポーターの説明と手作り料理などで楽しんでいただいているんですが、今日も見えていますけども、このサポーターは1年間一生懸命勉強して、我孫子市のガイド認定資格を取ってうんちくを傾けるというようなことで、非常に利用した方からは評判がよかった、毎年やってくれというふうに言われています。
 それから、冬になると、我孫子にはおびただしい野鳥が飛んでくるんですけれども、野鳥の会の会長さんをお招きして説明してもらう。オスプレイも見られるというような話があります。
 バス旅行もいろいろやっていますが、例えば鵜の岬にバス旅行に行ったときには、景色だけではつまらないので、原発も見てみようということで、お願いして原発の中で説明を受けたり、ちょっとひと味違うバス旅行をやろうというようなことも心掛けています。
 それから、芋ほり会ですね。こういったこともやっています。
 最後になりますけれども、やはり学びが大事だということで、昨年はサポーターレベルアップ講座というのをやりました。これは千葉県の御支援を得てやっている講座です。7回ぐらいやりましたけれども、今年は、統一テーマとして「人生100年時代のまちづくりと健康づくり」というようなことで、東京大学の高齢社会総合研究機構の先生から基調講演を頂いて取り組んでいこうということをやっています。
 今後の展開ですけれども、こういった私どもやっているようなmini-coreというか、小さな集まりが市内、あるいは地域を見るとたくさんあります。こういった地域の方々とどうやって有機的な関係を作っていくかということが今後の課題かなと。あるいは連携したり、情報交換したり、情報交換によるものまねとか、情報交換といっても、何とか協議会とか会議とか大げさなものじゃなくて、例えば市役所のホームページの片隅に置かれたハブだったり、ストレージだったり、そういったもので情報交換をやっていけばいいのかなというようなことを考えています。
 大変簡単で、時間がないのではしょった部分もありますけれども、御清聴ありがとうございました。

【司会】  杉原様、ありがとうございました。
 続きまして、NPO法人たがやす前理事長の奥脇信久様による事例発表を行います。
 簡単ではございますけれども、奥脇様の経歴を御紹介させていただきます。奥脇様は、1936年、昭和11年横浜市にお生まれになりまして、その後、定年退職した2001年、生活クラブ生活協同組合・東京の提携地場生産者の梨収穫作業の手伝いのチラシを目にされまして、この収穫作業に参加したのがきっかけに、たがやすの発足に関わりました。2002年にたがやすの方を発足するとともに理事長に就任、その後、援農を必要とする農家と農作業をしたい市民とをつなぎ、東京の農業、農地を残す活動をされてこられました。活動の理念継承の大切さを考え、2010年には理事長を辞任、現在はたがやすの理事をされておられます。
 本日は、「NPO法人たがやすにおける援農ボランティアの取組」ということをテーマにいたしまして、事例発表の方をしていただきます。
 それでは、奥脇様、よろしくお願いいたします。

【奥脇】  こんにちは。紹介いただきました奥脇です。
 私ども、たがやすは、活動場所は東京都の町田市で活動しています。東京都町田市というのは、今日、ここは全国の方がお集まりだと思いますけれども、ちょうど神奈川県と東京都の境です。人によっては、町田市は東京じゃなくて神奈川じゃないかというようなことを言われるような場所です。
 そこで都市農業を守るということですが、いわゆる首都圏と中部圏と近畿圏というのは、三大都市圏特定市市街化区域農地ということで、都市区域内の農地というのは、実際に農地がないことになっていまして、農地の管轄は農水省じゃなくて国交省の管轄になっているものなんですね。しかも、町田市は都市計画地域上は市街化区域が約70%あります。調整区域が残り30%です。ですから、当然、そこで農業をやっているというのは、市街化区域の中での農地を使って農業をやっている農家があると。当然、ですから、そういう農地は、実際には何年か前に国の政策ではなくなる方向へいっていたはずのものなんですが、それが幸い残っている。ですから、是非そういう農地を残したいというのが、私ども、たがやすの活動の理念です。東京に農業、農地を残したいというのが、まず活動なわけです。
 お手元の記入してあるところは後でごらんいただいて、今紹介にもありましたけども、生活クラブ生活協同組合・東京が、このたがやすの成立の母体になっています。農作業受託ネットワーク特定非営利活動法人たがやすというような名前でよく呼ぶんですが、実は、農作業受託ネットワークというのをNPOの名称として設立のときに東京都へ持っていきましたらば、一般の市民が農作業を受託してやるなんていうのは法的にもおかしいから、こんな名前じゃ受けられないよということで却下されました。それで急きょ、名前を付けたのが、たがやすという名前でもって、たがやすという名前になったので、かえって、町を緑に、畑を耕し、心を耕すなんていうのが私どものキャッチフレーズになっています。
 1の設立の背景と経緯の下から2行目ぐらいのところにありますように、2002年に市民20人と農家2軒の会員でもって急きょ、NPO法人として作ったという形のものでございます。いろいろな活動をしているわけですけれども、現在は、今日の話として関係のあるところとしては、援農ボランティアと、その援農ボランティアをすることによって作られるようになった研修農場の問題について、ここでお話をさせていただきたいと思います。
 まず、援農ボランティアにつきましては、普通、農業というのはもうからないものだからということで、行政で、自治体がこういう援農のボランティアの仕組みを作っているんですが、私どもが作った2002年当時は全て無償の形だったんです。ところが、たがやすはそれを有償ボランティアで行おうということで、発足をしました。有償ボランティアということになると、これはお金のやりとり、報酬のやりとりがありますので、労働の雇用との問題が生じるということになるわけですけれども、その当時、いわゆる1995年、平成7年から福祉関係の方では、ふれあいボランティアということで、有償のボランティアの活動がありましたので、それを参考にさせていただいて、農家と援農に行く一般市民と両方が会員になって、相互扶助ということで行うと。それぞれ両方、農家も一般市民の会員も同額をコーディネートとして事務局に払う。それから、当然、援農に行ったら事故も起こる可能性があるんですけれども、その事故のリスクを考えての保険料は援農者が自分でもって負担をしているというような仕組みでもって行っております。
 その援農の活動の人たちは10年以上たったわけですけれども、よくNPO、10年消滅説というのが言われていまして、10年たつと、最初やるぞと思った理念が薄れてきて、あるいはメンバーが替わって、10年ぐらいたつとつぶれるんじゃないかということを言われているんですが、幸い10年過ぎまして、活動して、それなりに、こういうような会へ呼ばれるということは、私ども成功しているんだろうなと思うんですけれども、私ども、たがやすは、事業年度は1月から12月までなんですが、最初の年の2002年7月に設立してから12月ですから、ごくわずかな時期なんですが、そのときの受入れ農家数は4軒です。それに対して会員数は、先ほど立ち上げたときの人数が20人ということだったんですが、そのうち援農に参加した人は8人だったです。それで出発をした。それでだんだん増えていった形なんですが、飛びますが、例えば2005年の年になると、受入れ農家数は12軒に増えています。12軒といっても、農家は苗を植えるときとか、あるいは残さを片付けるときとか、そういう忙しいときだけを手伝ってほしいと、人手が欲しいときがありますので、一年中仕事を頼むという農家は、その12軒のうち5軒が2005年のときの状況です。そのときに援農に参加した人が67人いました。67人の細かい内訳をいいますと、男性が40人、女性が27人。年代としては、男性の方の40人のうち70代の人が2人、60代が23人、50代が7人、40代3人、30代2人、20代3人というような形で、60代の人が60%近くいたというような状況です。女性の方は、27人中70代が1人、60代が6人、50代が9人、40代が4人、30代が3人、20代が4人というような形です。当然、援農者の顔ぶれとしては、50代の方から70ぐらいにかけてが多い。それが昨年ではどのくらいかというと、2012年では、細かい年代別の数字までは知らないんですが、男女比では約三対一、つまり男性の方が3、女性が1、援農に参加している人がいる。男性は60代と70代で78%を占めています。それに対して女性は60代の方が中心というのが実際の現在の援農者の顔ぶれだろうと思います。
 最初の頃は、始めた当初は、農家の方が受け入れる場合に、なまじっか、多少農業をしていたりすると、うちへ手伝いに来て、俺はこういうようなやり方で苗を植えたとか、種をまいたとか、農作業のことをうるさいことを言われるから、何も分からない者の方がいい、その方がかえって頼みやすいというような話もあったんですけれども、ところが、実際にやっていく上においては、つまり援農に行っている人たちがいろんな農業をやり出すと、最初は草むしりですとか、残さの片付けとか、出荷するための袋詰めとか、そんなような単純な作業ばっかりだったんですが、やっていくうちに、実際に種をまいてもらおうとか、肥料をやってもらおうとか、そういうような仕事になってくると、少しは農業の基礎的な知識を持っている方がいいというような話が出てきました。たがやすとして、そういう場所が欲しいということで、畑の場所が欲しい。ただ、市街化区域の農地ですから、最近、農地を借りましたけれども、農業者以外が農地を借りては実際に使えないというようなことで、いろいろ問題があったんですけれども、町田市が、遊休の形になっている草ぼうぼうの農地を貸してやるから、そこでそういう場所を作ったらどうだということで、2005年に町田市民農業研修農園というのを私どもが開設をしました。そこで教えるのは、農業の持っているそばの農家の方に主になっていただいて、既に援農活動してから二、三年たっていたわけですか、それで農家へ行って、一緒に1年、2年、そういうような農作業をしていて、農業を覚えた人たちもそこのスタッフとして加わって、農業研修農場を行った。そこの農業研修農場は、4月から翌年の1月まで毎週土曜日に開校しております。そうすると、当然、そこに来る人たちは定年退職した人、あるいは1、2年後に退職する、つまり土曜日ですから、土曜日に勤め先が休みの人は、朝の話にもありましたけれども、将来辞めてから自分がどうしようか。そういう場所へ行って、覚えておいて、辞めたときにスムーズにそういうことができないかという思いを持った人たちが主に来ています。当然、若い人たちもいますけれども、そういうような人たちが多くて、研修終了後は、たがやすの会員として援農に行ったり、あるいは今の研修農場のスタッフとして農園管理などをしたり、あるいは中には、町田市の人で、もともとは農家の息子さんだったんですけれども、実際には自分が現役時代、親がやっているからということで外へ勤めていて農業をやっていなかった。自分は退職したから親の農業を継ごうと思うけれども、おやじに聞くのは何だか面白くないから、農業のことを逆に人に聞きたいということで、私どもの農園へ来て、研修をして、逆に今、親の跡を継いで、実際に町田市で農業を今はやっているというような、そういういろんな方が実際にはおります。
 それが一つの形として行っていたんですが、今度、そうすると、私どものスタッフが、そういう研修農場をして、うまくやっているなというようなことで、たまたま今度、町田市は、農地あっせん事業という、農家が高齢化とか何かで自分が畑をやらなくて遊休農地になってしまっているのが、町田市の農地でもあります。そういう農地を、実際に農業をやる人に使ってもらおうというのが町田市の事業としてあります。それと同時に、それの農業をやる担い手を養成しようということを市で考えたわけですね。町田市と、町田市の農業委員会と、それからJA町田が実際にはやっていくということなんですが、私ども、研修農場の結果を見ていたものですから、それの運営管理を事務委託したのが、その2番目に書いてある、ちょっと名前が似ているんですけれども、町田市農業研修農場というものを2010年に町田市が開設しました。町田市が2010年に開設したのは、これは新規就農者と援農ボランティアを育成するための市農業研修事業という形で市が開設した、その事務委託を受けて、2005年に始まった先ほどの研修農場の1期生の者一人と2期生の者一人がそれの担当をして、この運営事務のスタッフとして管理しています。この町田市が行っている農業研修農場の方は、2年間のカリキュラムでもってする。昨年2012年に2年間の研修が終わった人たちに、町田市は、農地あっせん事業でもって、その2年間の研修を終わった者は、農業やる者と認めて農地を借りることができるという制度になっています。研修を修了した者同士が、個人ではなかなかやりにくいということで、同期生同士がそろってグループを作って、あっせんを受けた農地33アールを使って新規就農しているというような形で、ですから、考えてみれば、たがやすの流れからいえば、まず援農に行って農家から農業技術を覚え、あるいは研修農場で農業技術を覚えた者がそこで更に次の者に伝えていって、そしてそれが新規就農者を作っていくというような広がりを作っている。朝の話にあったわけですけれども、そういうふうに学んだものをまた次の代に教えていくというようなプログラムがうまくいっているんじゃないかというふうに思います。
 そういうようなことと今度違って、3番目に学童体験農園ということなんですが、2013年に町田市の農地あっせん事業でもって、農地をたがやすとして49アール借りる形になりました。そこでもって援農だとか、あるいは先ほどの研修農園でもって、農業技術を培った会員がスタッフとなって、いわゆる子供たちに農業を教えていく。これは一つには、先ほどの私どもでやっている研修農園では、さつまいもを植えておいて、それを利用して子供会などが秋に芋掘りをするようなことを前々から実施しているんですが、子供たちは泥んこになって芋掘りをして、掘った芋で焼き芋をしたりして楽しんだ後、畑中を駆けずり回ったりして遊んで一日を過ごしていました。町田市という都市生活の中で生活する子供たちによっては、こういうような場所の大切さを見せつけられた出来事でもあったわけです。そういうような形で、小さな子供たちに農業を通して、あるいは食育を通して、そういうような学びの場を作っていきたい。
 食育の問題では、例えば、けさの基調講演の中で、戦後の1947年の栄養不良の問題がありましたけれども、私が農業ということに関心を持った一つは、もともと私は農家の出身じゃないんですけれども、食料に恵まれなかった子供時代を生きています。この中で経験された方もあるかもしれませんが、昭和18年、小学校2年生ときに、横浜市の食堂へ行って、おそば屋さんへ行って、おそばとして出されたものは何だったと思いますか。話をしているうちに、ちょっと今思い出したんですけど、何が出されたと思いますか。出されたものは、おそばとかうどんじゃないんです。何でできていたおそばかというと、ひじきでできていた。それを子供のときに食べている。それから同じ年に、たまたま旅行して通ったとき、宇都宮の駅で弁当、弁当って売っていた弁当を買ったんです。その弁当は何だったと思いますか。じゃがいもの男爵を入れたものが紙の袋に入っていたものでした。そういう食べ物の時代を、今日、この中にもそういう年代の方もいるかもしれませんけれども、経てきています。ですから、そういうような食べ物のことも、こういう学童体験農園を通して、農作物のでき方だけではなくて、子供たちに、いわゆる食育の面でも、こういう場でもって培っていきたいというのが一つのことになっております。
 そういうような形でもってやっているのが活動の主な形ですが、たがやすの成功したことは、我々、実際に参加している定年退職者、けさの先ほどからの話により、男子というのは会社人間で、なかなか地域社会に溶け込めないということを言われていました。私もたがやすに入ったときに言われたのは、まだ団塊世代のちょっと前ですから、会社人間の男性が地域社会のこういう活動に飛び込んできたといって、珍しがられたんですよね。これから団塊の世代がいっぱい出てくるから、その模範になるんだということで、そういうような会議に呼ばれて話をさせられたことがあるんですけれども、ところが、地域社会の中で活動したというのは、皆さんのお手元のプリントにあるように、たがやすが成功しているのはということを私どもなりにいうと、設立母体が生活クラブ生活協同組合であったということ。つまり、生活クラブの活動で社会参画や地域貢献活動の知識や活動に関する知識を持っていたこと。それからきっかけになったわけですが、農業者といわゆる提携生産者との、それから生活クラブ組合員との交流が親密であった。市民と農業者となかなか交流がなくて、私ども、最初始めたときには、何で余分なことをやるんだというようなことを言われたようなこともあるんですが、現在ではそういう形になっております。
 それに対して、あとは読んでいただけばいいんですが、援農会員が割合持続してきたというのは、都市農業・農地を維持するという地域ニーズを反映した課題解決型・社会貢献型の活動をたがやすがやっている。つまり、中には、現役時代には農地買収をずっと仕事としていたと。その当時の名前でいえば、住宅公団だとか、道路公団だとか、鉄道建設公団というのは、当然、農地買収の仕事をやる、その中のどっかにいたということなんですが、俺は農地買収をずっとやっていたと。だから、辞めてからあとは少なくとも農地を残すことをやりたいというような思いでもって援農活動やこの活動に参加しているような人もいます。そういうような思い、それから3番目にあるように、これは逆の人がいたんで、こういうことを感じるんですが、援農に行って、農家の20代の息子が、おじさん、この草、むしってくれよとか、あるいは農具の何かを持ってきてくれよと言ったら、そういう言葉の使い方に腹が立ったから、俺はもう援農に行かない。これ、考えると、どうしたって昔の現役時代の、椅子にふんぞり返ってきた思いがあるんですよね。農家へ行って、あんたが行って、今度は教わる立場にいて、何言っているんだというような話をしたんですけど、そういう人は駄目ですね。続かない。あきれて、新しい活動ができないというようなことだろうと思います。
 いろいろそこにあるようなことなんですけども、時間もきていますので、結局、たがやすの活動を通して、今日の「長寿社会に輝く未来を目指して」ということでいうと、高齢者が、まさに実際に私どもの会員として活動している人は「幸励者」になっているだろうと。幸せに励んでいる人、つまり今日の話から通していけば、高齢者を「幸励者」にするということが一番の目的なのが、今日の会議なのかなというふうに私も思いました。後期高齢者、私はもう後期高齢者になっているんですが、光り輝く「幸励者」というようなことでなっている社会。
 私どもがなぜ今日呼ばれたかというのが、実は最初あったんですけれども、考えてみたら、ちょうどこういうことを私ども結果的にはやっていたんだというので呼ばれたんだなという思いがしました。今日来るまでは、何を話したらいいのか、呼ばれてたときは思っていたんですけれども、というようなことで、時間を急ぎまして、まとまらない話をお聞きいただきまして、ありがとうございました。(拍手)

【司会】  奥脇様、大変貴重な事例発表をありがとうございました。
 続きまして、筑波大学大学院人間総合科学研究科教授の久野譜也様による事例発表の方を行います。
 簡単ではございますけれども、久野先生の経歴の方を御紹介させていただきます。久野先生は、1992年に筑波大学大学院博士課程医学研究科を修了後、東京大学助手、ペンシルバニア大学医学部客員研究員を経て、現在、筑波大学大学院人間総合科学研究科教授に就任されております。また、2002年からは株式会社つくばウエルネスリサーチの代表取締役社長も兼任されております。表彰歴といたしましては、2003年内閣府産学官連携功労者表彰、科学技術政策担当大臣賞、経済産業省創業ベンチャー国民フォーラムジャパンベンチャーアワード2008 起業家部門委員長特別賞を受賞されておられるほか、主な公職といたしまして、内閣官房環境未来都市推進委員会委員、国土交通省健康・医療・福祉政策及びコミュニティ活動等連携したまちづくり検討調査委員会委員などを務めておられます。さらに、主な著書といたしまして、『10分で十分筋トレ』NHK出版、『代謝高めて中高年ダイエット』NHK出版、『股関節の痛みをとると健康になる』PHP研究所、『筋力再生トレーニング』洋泉社などがございます。
 本日は、「超高齢社会対応を可能とするSmart Wellness Cityとは」ということをテーマいたしまして、事例発表を頂きます。
 それでは、久野先生、よろしくお願いします。

【久野】  こんにちは。御紹介いただきました筑波大の久野でございます。時間が限られているので、早速中身に入っていきたいと思います。
 今、すごい過分な御紹介を頂いたんですが、私の専門はもともとスポーツ医学で、特に予防医学です。こういう高齢社会の中でなるだけ健康寿命を延ばしていけるような、そういう社会システムというものの研究に取り組んできました。
 まず、今、我々が必要だというふうに思っているのは、日本人は世界一長寿なんですが、一方で、寝たきり期間は女性が今平均で12年、男性で7年ということで、厚労省のデータでは、寿命が、女性が90ぐらいまで、男性が80前半ぐらいまでということで、我々専門家から見ると、このまま寿命が延びても、多分、健康寿命が延びずに、いわゆる寝たきり期間だけが延びるだろうと。長寿というものを昔から人間というのは願ってきたわけですが、実は結果的に、このままでいくと、皮肉なことになる。長寿を勝ち取ったために、いわゆる人生の最後の瞬間というか、最後のフェーズでつらい期間を相当味わわなければいけない。これをどう変えていけるのかということに関して、エビデンスとして、かなり実は人間の力というか、機能というのは可塑性があって、しかも、変えられる要因と変えられない要因というものがほぼ分かってきています。だとすれば、これは誰が考えても分かるように、変えられる要因をどううまく伸ばし、そして健康寿命を延ばし、その延ばすということは、今日いろいろお話があった、いろんな生きがいの活動につながっていくと。そのベースの健康のところをどううまく保つたかということに関して、今日お話をしたいというふうに思っています。
 実は、例えば今日ここにいらっしゃる方々は基本的に熱心な方。今、政策的にも必要なのは、こういうところに来られない方々ということです。そういう方々の、我々の健康に関していくと、厚労省のデータ、あるいは我々が5,000人ぐらいのランダム調査をかけたデータで見ても、私は最近、3・7の法則とまで呼んでいるんですが、大体3割が関心層で7割が無関心層である。今、非常に問題になっている医療費なんかに関しても、大体この7割のところが非常に問題で、健康日本21というのを2000年から10か年厚労省がやりましたが、実はこの7・3の割合は変わらなかったというのがきちっと結果して出てしまった。ですので、関心がある方だけを集めて、そして活発な活動をしていますというのだけでは駄目なんです。もちろんその方々の活動はいいんですよ。ですが、今の社会からいくと、出てこない人たち、7割をどう引っ張り出すか。その7割を全部引っ張り出せないでしょうが、その7割の2割でも3割でも引っ張り出せるようなことができると、実は社会が変わってくるんじゃないか。つまり、ここに中央値がありますが、こういう正規分布の右の方のリスクの高い方々が減って、左の方に中央値が持ってくるような、そういう社会にしていくために生涯学習というテーマは非常に重要なんですが、ただ、残念ながら、そういうものに関わっている方はほんの一部である。その一部の方々だけの取組では社会には影響しない、そこを我々少し考えていく必要が、あえて私は今日そこを問題提起として申し上げたいというふうに思っています。
 健康という問題が10年ぐらい前から、皆さんも、単に医学的な健康だけではなくて、生活の質、クオリティ・オブ・ライフというようなことが大事だというふうに言われてきたのは御存じだと思うんですが、実は七、八年前から、それだけでも駄目だと、クオリティ・オブ・ライフだけ言っていても駄目だというのが、今、我々の世界の常識です。
 非常にいいモデルがWHOから出されたんですが、この三つ目、社会参加していて初めて健康と定義しようということが7年、8年前にWHOが提起した。つまり、幾ら医学的に健康でも、家の中にずっと閉じこもっている人を健康とは呼ばない。何らか社会と関わっている人たちを健康と呼ぶと。そういう面では、社会に、いわゆるリタイアした後の中で、どういう社会の、町の中での、出ていける仕組み、それが重要で、更に公衆衛生学的にいうと、70歳以上の方になると、外出頻度と一定の健康度の間に関係が出てきてしまうんですね。若い方では出ませんが、70以上だと出るわけです。そうすると、健康のために歩きましょうということばっかり我々言い続けてきたんですが、そろそろそこだけではもう足りないということに気付かないといけない。つまり、健康のために歩くんではなくて、自分のやりたいこととか、自分のやることの関わりで外出した結果、歩いてしまうというような、そういう社会の仕組みが必要なんだろうというふうに思っています。
 私の専門がスポーツ医学と言いましたが、私がスポーツ医学なので、歩くこととか運動が大事だというふうにこの後言うだろうと思っている方のために、これもWHOがグローバルヘルスという全世界のデータをかなりきちっとエビデンスベースで要因分析をした結果、死亡リスクで1位は高血圧なんですが、見ていただくと、第4位に運動が入っているんです。つまり身体活動不足というのが寿命を縮めるということは、世界的なエビデンスではっきりしているわけです。逆に見ていただくと、食事って入ってないんです。だから食事が必要ないという意味ではないんです。ただ、第5位までを見ていただくと、非常にこういう内容で、しかも、運動を、あるいは外出、歩くことを増やしていただくことは高血圧にも効きますし、高脂血症にも効きますし、肥満にも効くということは御存じですから、そういう面では、いかに外出する、しかも、外出するときに車じゃ駄目だということなんです。なるたけ歩いて暮らせるような、そういうまちづくりというか、社会を作っていくことが実はこれからの高齢社会で非常に重要だというふうに我々は考えています。
 そういう中で、運動そのものが例えば一定の効果があるかということで、我々がいろんな自治体とやっているプログラムなんですが、これは2,000人ぐらいのデータですが、わずか3か月で、2,000人の平均できちっとした運動プログラムをやると4.5歳ぐらい若返るというきれいなデータが出ています。さらに、何と医療費も、これもきちっと、かなり丁寧にデータをとっていますが、3年ぐらいきちっと続けると、最初、両方同じで、ピンクはやっていない人、青はずっと我々のプログラムをやり続けた人。1人当たり10万円ぐらい医療費に抑制効果が出るという、きれいなエビデンスが出ます。
 ですが、問題は、この下なんですが、これは新潟県の見附市というところと一緒にやって、実際にそこからシミュレーションをかけると、2,000人ぐらいまでこのプログラムをやっていただくと、見附市の国保財政によい影響が出るという試算が出ていたので、見附市長と2,000人までやりましょうといったんですが、見てください、増えないんです。1,300人ぐらいで頭打ちになってしまう。これがいわゆるさっき言った、無関心層と関心層なんです。つまり、これまでいろんな地域で、いろんな文化的なもの、運動的なもの、いろんな教室をやっているんですが、そこに来ているのは、再度言いますが、いわゆる関心層の3割で、そこから増えないということが分かってきているんです。ここの岩盤みたいなような状態をいかに壊すかということが今課題です。
 どうやったらできるかということで、これは総務省から研究費を頂いて、5,000人ぐらいのランダム調査をしたデータなんですが、結構面白いんです、このデータ。これは生活習慣病予防に匹敵する運動ができていない方とできている方、大体7対3ですね。このできていない方に、今後運動する意思はありますか、ないですかと聞いたら、何と7割が「ない」と答えているんです。7割の7割なので、全体では約半数がやらないと言っている。
 こういう方々がどういう人かというと、ちょっと時間の関係でここの赤だけ見ていただくと、健康的な生活を送るための情報収集や志向、そういう意味では学習です。そういうものを今後もやる意思がないと答えたこの二つのタイプは、していないと統計的に集団として入れたんです。それに対して、今はやっていないけど、今後はやる意思があるという方は、していると答えた。もちろん今やっている方々もしているということなんです。これはどういうことがお分かりになりますか。つまり、分かっているけど、変えられないというふうによく我々は言いますよね。運動とか食事とか、変えた方がいいけど、分かっているけど、変えられない。でも、このデータは、そうじゃないんじゃないかという可能性がある。分かってないんじゃないか。なぜならば、データ情報をとろうとしていないんです。もちろん運動や食事が大事な程度の情報では、人の行動は変わらないということなんですね。つまり人が行動を変えるということは、変えることに対するバリューを感じない限りは変えられないわけです。それを変えるためには、バリューをするための情報や知識がないと、実は人の行動は変わらないわけです。そうすると、情報をとってないということは、そういうことに期待、いい情報が入ってこないわけですから、変わらないのはある意味当たり前じゃないかという仮説が生まれてくるわけです。そうすると、我々は、今まで学会でもずっと、分かっていてもできない、難しい、だから楽しくなきゃいけないんだ、すぐ短絡的に言ってきたんですが、楽しいプログラムだっていろんなところが作っても、やる人が増えたかというと、増えてないんですよね。しかも、そこでいい、いいというデータをすぐ大学の我々は出すんですが、それは限られた参加者だけでやっていいと言っているだけで、その後ろには、来ない人たちのことは全く我々も見て見ぬ振りをしてきた。そこを変えていく仕組みがない限り、やはり社会は、何度も何度も言いますが、変わらないだろうという仮説を持っています。
 どうするかということをお話ししたいんですが、時間の関係で、そこは後で、ちょっとだけしか言えないのはお許しください。
 こういうことを今上げていくことのキーワードとして、こういうのをヘルスリテラシーというふうに呼びます。ヘルスリテラシーは、単なる知識という意味ではなくて、行動を変えられるまでの知識レベルと。そういう面では、生涯学習で入れていただく情報や知識も、私たちの立場からすると、行動を変えられるための情報や知識が本当に入れられているかどうか、あるいは届けたい住民に届いているかどうか、そこがポイントだというふうに考えております。
 そういう中で、今日はまちづくりの話をしたいんですが、私が2009年に為本先生という方のたまたま論文を読んでいて、目からうろこが落ちた気分になったんですね。もちろん、こういうことは知っていたんですが、東京、大阪、愛知、ピンクだけを見てください。日常の移動手段が自動車だという方の割合です。東京は35、大阪は40ちょっと、愛知は70ちょっと。右側は糖尿病の患者数になります。自動車依存がそういうものを増やしているというのは我々も知っていたんですが、こうやって見ると、実は我々は、やはり教育者なので、個人を知識で変えよう、変えようということしかやってこないんですね。幾ら変えても、都市環境が一定の健康に与えるという、こういうエビデンス、そしてその後、論文を引くと、実はグローバルでいろんな論文が、環境と健康の論文って今我々もかなり出していますけど、そういうものが分かってきた。そうすると、都市というのは、皆さんもそうですが、必ずどこかに住んでいるわけですから、その町に住んでいると、自然と健康になれるような町を作っていくということがこれからの方向性だろうと。ただし、ここで大事なのは、実はこの都市環境というのは、もちろんハードがあります、一つは。なぜ東京がこれだけ歩いているかというと、車で行く方が不便だからです。公共交通が発達しているので変えられるわけです。でも、地方ではそれができない、車依存になってしまっている。そういうハードも大事なんですが、もう一つ出てくるのは、実はソーシャルキャピタルとか、人と人のつながりとか、コミュニティの力、こういうものも今健康に影響するというエビデンスがはっきりしています。つまり、私が言っている都市環境は、ハードと、そこに人が出て、さっきの、社会参加できるような、そういうコミュニティ、その両方を合わせたものを都市環境というふうに今言っています。今日の皆さんの、私の前の二つの御発表とかをお聞きしていると、いわゆるソフト的なそういう仕組みのお話だったろうと。加えて、都市のハードとソフトが一体型になって、実はいい社会ができてくるんだろうと思いながら聞いていました。
 そうやって見ると、実はきのう新潟へ行っていて、けさ帰ってきたんですが、きのう行っていました新潟県の三条市です。10万人都市の一番の中心市街地です。ですが、見ていただくと、シャッター街で人は誰も歩いていなくて、そして通過交通だけがいると。地方の都市がほとんどこうなってきている。郊外に大規模店舗ができて、中心市街地がさびれた。これは、経済だけの問題でこれを何とかしなきゃいけないとよく言われていたんですが、最近、このエビデンスからいくと、実はこういう町の状態が不健康な人を増やしているというふうに見えるようになってきたんです。これから基本的には歩いて暮らせる町というものを取り戻していかないと、実は大変なことになる。さらに、これからの高齢社会は75歳以上の後期高齢の方が増えます。そうすると、運転ができなくなる人が増える社会になります。そうすると、日用品さえ、今、買えないような地域で住んでいる人が非常に多くいるということになるわけです。そういう面では、こういう都市問題に関しても、是非皆さんに関心を持っていただけるといいかなというふうに思います。
 ちょっと時間の関係で、あと最後、もうちょっとだけありますね。これは3.11の後、飯館村という福島の全村避難した方々、仮設住宅に移られた方の健康支援をいまだに我々筑波大学、私の研究室が中心にやっていますが、その中で、村長さんから、きちっとデータもとって今後に生かしてほしいという依頼を受けまして、データも支援をしながらとらせていただいています。左が飯館村、こんなところで、これは伊達市のところに作られた仮設住宅のところを我々ずっと支援しているんですが、いわゆるこの環境、とても歩きたくなる環境ではないです。この方々が半年後どうなったかというデータなんですが、青が震災前の外での活動時間です。1日400分ぐらい平均であったのが、見てください、激減しています。どこが影響しているかというと、もともと田舎で車依存なので徒歩による活動時間は変わってなくて、ほとんど農作業、労働による活動時間が減ったことが全部これで説明できている。
 冒頭に言いましたが、社会参加といいますのは、やることがあるということがいかに重要か、それが仮設住宅に移ってやれなくなった結果、これだけできなくなった。実際に医学的なデータからすると、やっぱり悪い状態ですね。ただ、もう一つ言えば、一応住民の方には言ったんですが、もともと悪かったというところもかなり見えていて、それは車依存で、それが更にそういう状態になるから、更に悪くなっていると。そういう意味でも、これからの地域での活動状態をどう作っていくのか、そこが大事だというふうに思っております。
 これは国交省から頼まれて我々の研究室で試算したものですが、歩くまちづくりというのを、今、コンパクトシティというのを国交省が一生懸命やり出しているんですが、その中で、我々の研究所のデータから試算すると、一歩増やすと0.061円医療費効果が出ると試算上出てきます。1日当たり平均1年間2,000歩増やしていただければ、365日掛かりますから、例えばそれが1万人達成すれば、年間でそれだけで4億円ぐらい増えると。そういう面では、まちづくりというのは、そこへ住んでいますから、そういう面で無意識でも歩かされてしまうような、そういう町、それは単に不便だけではなくて外へ出たくなって動く、そういうようなまちづくりをしていただくことが、そういう面で非常に生涯学習という形で外に引っ張り出していただくような、そういう仕組みがソフト施策としては地域で非常に重要だというふうに思います。
 ソフト施策にこだわるのは、これは某県庁所在地です。悪い例ですから名前を言いませんが、すごくきれいな歩道が整備されました。これは30万都市で、一番の中心市街地です。この日、呼ばれて、午後だったので、午前中ジョギングしていたんですが、私一人のために誰もいないような、非常に走りやすかったんですが、ということは、何かというと、環境整備しただけでは人は歩かないということです。なぜここを歩かないかというと、ここを余り写さないようにしたんですが、シャッター街ですし、すいているお店も魅力のあるお店がない。ですから、さっきまちづくりと言った意味は、そういう意味なんですね。そこが一体的に動かないと、実は変わらないんだということになります。
 最後に、どんな町かということで、今、我々が参考にしているのは、ヨーロッパの、例えば幾つかあるんですが、フライブルグという町です。1970年代、町の中心部、車だらけでした。これは同じ場所です。この教会がこの教会で、このビルがこのビルです。今はLRTという市内電車も入れて、見てください、人が歩き回っている。実はこの周りの商店街の売上げは3倍ぐらいに伸びた。何をしたかというと、中心市街地の一定区域には車を入れないという政策を打っているんです。公共交通は入ってきますけど、通過交通、自動車は入れない。外側に置いて、歩けない高齢者の方は公共交通で入ってきますし、歩ける方は歩いてくる。こういう賑(にぎ)わい作りを非常にうまくやっていまして、今ヨーロッパの町でも、こういう町がどんどん増えています。今、我々、七つぐらいの町と、こういうまちづくりを総合特区という制度を使って社会実験に昨年から入っていますが、いろいろ苦労をしていますが、そういう動きをしている自治体もあるんだということを知っていただければと思います。
 ということで、これが最後のスライドですが、こういうSmart Wellness Cityというふうに我々が呼んでいる意味を今日御理解いただければ幸いでございます。
 御清聴、どうもありがとうございました。

【司会】  久野先生、ありがとうございました。
 それでは、ただいまから休憩の方に入りまして、14時45分からこれまでの講演、それから事例発表の内容を踏まえまして、シニアの学びを様々な分野の活躍につなげていくためのテーマにしたグループディスカッションの方を行いたいというふうに思います。
 なお、休憩中に職員が机を移動させますので、休憩時間が終わりましたら、参加者の方におかれましては、配付資料の座席表をごらんになりつつ、名札にあるグループ番号に従って御着席をいただければというふうに思います。座席表の方はスクリーンの方にも表示をさせたいというふうに思います。
 事例発表等々につきましては、質問時間を設けませんでしたけれども、事例発表いただく方の方もグループディスカッションの方にも参加されますし、久野先生、15時過ぎにはおられなくなりますけれども、それまではおられますので、適宜、質問等があれば行っていただきたいというふうに思います。
 それでは、15分ほど休憩を挟みたいと思います。

―― 了 ――

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生涯学習政策局社会教育課環境・高齢者担当

(生涯学習政策局社会教育課環境・高齢者担当)

-- 登録:平成25年12月 --